YEF JAPAN
リソース

一日一言(2015年10月20日)

Oct 20, 2015 03:19 AM JST

主が結局最後に私たちのやりたい通りにさせてくださって、それで最も深遠な霊的レッスンを学ぶわけではありません。そのようなレッスンを学ぶのは、主が弟子たちに教えられた「御心がなりますように」という祈りを心から祈れるようになるまで、主が私たちを待たされ、愛と忍耐をもって私たちにつきあって下さるときなのです。御心がどんなものであってもそれを受け入れること、これこそ世に打ち勝つ信仰の大いなる勝利です。

一日一言(2015年10月19日)

Oct 20, 2015 03:14 AM JST

クリスチャンになった当初、私は自分だけで信仰者としてやっていけると思っていました。部屋にこもって神学書を読めば、教会に行く必要などないだろうと...。私は教会で歌われている賛美歌が大嫌いでした。私には質の余り良くない歌詞が、それよりさらに質の悪い調子っカーずれなメロディに載っかっているものとしか聞こえなかったのです。しかし後に教会に集うことに大きな意味があることを知るようになりました。見た目も教育レベルも全く違う人々に出会うにつれ、最初私の中にあったうぬぼれはじょじょに剥がされていきました。

一日一言(2015年10月18日)

Oct 16, 2015 02:28 PM JST

「人間の偉大さ。人間の偉大さは彼の学問になるのではなく、自分自身にとらわれないことにあるのである。学のある人は無学の人より一層利己的になりやすい。十字架上のキリストを仰ぎ見よ。キリストこそがわれらの模範である。ああキリストは何と気高く、偉大で、やさしく見えることか。自己を忘れ、真と善の大目的のために、自分自身を進んで献げようではないか。心か悔い改めて謙虚になろう。これを私は人間の偉大さと呼ぶのである。」

一日一言(2015年10月17日)

Oct 16, 2015 02:23 PM JST

「一瞬一瞬の時間の計り知れない重要性はこういうことである。この瞬間の中で、我々は自分の永遠の未来に関する決断を下し、また決断を下されるのである。」

一日一言(2015年10月16日)

Oct 16, 2015 02:21 PM JST

「偽りの預言者とは、人々に満足を与える牧師のことである。彼は福音の説教者、牧会者、奉仕者と呼ばれるが、しかし彼は人間たちの被用者にすぎない。彼は自分が神の名において語っていると夢想しているが、彼は世論の名において、立派な人々の名において語っているに過ぎない。キリスト教はあなた方にとって好ましく重要なものである。あなた方は生活の美しい飾りとしてそれを好む。しかし、神の霊とこの世の霊との間には平和はない。神の意志と人間の意志との間の平和を説教し、現在の生と新しい生を穏やかに賢く結び付け、民が築く隙間の多い壁に宗教と言う漆喰を上塗りし、人々を満足させようとする、そのようなことには何の意味もない。」

一日一言(2015年10月15日)

Oct 16, 2015 02:20 PM JST

「福音は、神御自身の力ある御言葉として人間に与えられている。人間をその存在の根底まで問い詰め、それまでの安全と満足を奪い去る。自分の理想の中に自らを虜にしているあらゆるかかわりをすべてばらばらに切り裂くのである。それは人間が、神に対して、そして神がイエス・キリストによって賜った新たなすばらしい恵みに対して、完全な自由を得るためである。」

一日一言(2015年10月14日)

Oct 16, 2015 02:14 PM JST

「同じ熱心なクリスチャンとしての生き方にも、二通りの生き方があります。天の父の前に生きる生涯と、人の前に生きる生涯です。天の父の子とされた者は人の前にではなく、天の父の前に生きるべきであります。」

一日一言(2015年10月13日)

Oct 16, 2015 02:11 PM JST

「私は聖書を置いて、あたりに目をやってみた。そして、このように自問した。私を作ったのは誰か、私の両親か? そうではない。それは私の神だ。神が私の両親を作り、そして、両親を通して私を作られたのだ。私の机を作ったのは誰か? 大工か? そうではない。それも私の神だ、神が地上に木を生えさせられたのだ。大工がこの机を作ったのではあるが、それは実際には木から来たのだ。そうであるなら、私は神に感謝し神を信じ、神に対して心正しい人にならなくてはならぬ。」

一日一言(2015年10月12日)

Oct 11, 2015 11:29 PM JST

奇妙に聞こえるかもしれませんが、聖書を読まなくてもいいということに気づいた時、聖書をエンジョイして読むようになりました。クリスチャンは一体律法からどれ程解放されているのでしょうか。完全に解放されているはずです。毎日聖書を一定時間読まなければならないという律法がありますか。そのようなものはありません。それではなぜ読むのでしょうか。み言葉を通して神と交わりたいという願いがあるからです。恵みによる聖書研究はみ言葉への飢え渇きを創り出しますが、律法によるアプローチは「やらなければならない」という疲労感を残します。

一日一言(2015年10月11日)

Oct 11, 2015 03:45 PM JST

生きることは愛すること 愛することは理解すること 理解することは赦すこと 赦すことは赦されること 赦されることは救われること

ABOUT US

YEF JAPANは、早稲田を中心に活動している超教派のキリスト教学生コミュニティーです。キリスト教精神を土台に、聖書の学びやフェローシップを行なっています。

フォトギャラリー